【対馬】日ノ本と朝鮮の間に、再び平和の架け橋が架かった! 文禄・慶長の役による断絶から約十年。対馬領主・宗義智公(40)の執念とも言える外交努力が実を結び、本日、朝鮮国王の国書を奉持した回答兼刷還使の一行が、駿府にて大御所・徳川家康公(65)、次いで江戸にて将軍・徳川秀忠公(29)と歴史的な謁見を果たした。両国の間で正式な国書が交換され、国交が完全に回復したことは、戦なき世を願う両国民にとって、これ以上ない大手柄として天下に轟いている!
宗義智公、絶体絶命の淵から手繰り寄せた奇跡の和議
今回の国交成立は、まさに宗義智公の命懸けの奔走があったからこそ成し遂げられた。対馬は朝鮮との貿易なしには立ち行かぬ土地柄。義智公は秀吉公の死後、家康公の命を受け、幾度となく荒波を越えて朝鮮側と接触。当初は「日本側から先に国書を差し出せ」「先に国王の墓を暴いた犯人を差し出せ」と極めて厳しい条件を突きつけられていたが、義智公はそれら難題を一つ一つ、驚異的な忍耐と知略で解決してみせた。
本日、使節団が奉持した朝鮮国王の国書には、日本の新たな支配者である徳川家への敬意と、今後の善隣友好への強い意志が記されており、家康公も「宗家の働き、まことに天晴れなり」と手放しで称賛されたという。
「回答兼刷還使」一行、江戸の街を彩る異国情緒
正使・呂祐吉殿ら五百名に及ぶ使節団の行列は、豪華絢爛な異国の衣装に身を包み、楽隊が奏でる独特の音色と共に江戸の街道を進んだ。沿道を埋め尽くした見物客からは「これぞ平和の証」と歓声が上がり、長らく続いた戦の傷跡を癒やすかのような熱気に包まれた。 使節団の目的は国交回復だけでなく、先の役で日本へ連れてこられた朝鮮の人々を連れ帰る刷還も含まれており、義智公はその準備にも万全を期し、両国の信頼関係を盤実なものとした。
対馬・宗家、日朝の不滅の門番として君臨
この功績により、宗家は幕府から朝鮮外交の全権を委任され、対馬は「日朝貿易の唯一の窓口」としての地位を不動のものとした。家臣や商人たちは「これで対馬も安泰だ」と、義智公の類まれなる外交手腕を称えている。
家康公が進める平和外交の象徴となった今回の国交回復。その影には、言葉も文化も異なる二つの国の間で、針の穴を通すような繊細な調整を続けた宗義智公という不世出の外交官の姿があった。
「対馬の海に、再び帆が躍る」。宗義智公が守り抜いたこの平和が、徳川の世をより一層輝かせることは間違いない。
