戦国新聞

戦国時代のニュースを速報でお届けします

【戦慄スクープ】秀吉、鬼の所業!三木城干殺しの地獄絵図 城内では人肉を食らう惨状か

1580年1月17日 #播磨

【播磨・三木】播磨の雄・別所長治公(22)が立て籠もる三木城が、ついに陥落した。しかし、これは武士(もののふ)同士の正々堂々たる決戦の結果ではない。羽柴秀吉(43)が二年にわたって強行した、前代未聞の兵糧攻めという名の組織的虐殺である。城内では、飢えに耐えかねた将兵が馬や牛を食らい、さらには……。天下布武を掲げる織田信長公の忠実な猿こと秀吉。その笑顔の裏に隠された、身の毛もよだつ冷酷な本性を本紙が暴く!

「草木も食い尽くした」地獄の二百日

三木城を包囲すること約二年。秀吉が取った戦術は、力攻めではなく待つことだった。城の周囲を幾重にも柵で囲み、一粒の米、一滴の酒すらも運び込ませない。これこそが、世に言う三木の干殺しである。

城内からの脱走兵の証言によれば、昨年末から惨状は極限に達していた。最初は馬や犬、次は壁の土に混ぜられた藁、そして最後には……。餓死者の死肉を削ぎ取って食らうという、まさに現世の地獄がそこにはあった。秀吉は、城内から漏れ聞こえる悲鳴や呻き声を、陣中で酒を酌み交わしながら聞いていたという。

人たらしの仮面を剥げ!

秀吉は、世間では人たらしの天才、明るく陽気な出世頭として知られている。しかし、その実態はどうだ。自らの手を汚さず、相手をじわじわと飢えさせ、精神を崩壊させていく。これこそが、この男の真骨頂なのだ。

別所長治公は本日、自らの命と引き換えに城兵の助命を乞い、切腹して果てた。若き名将の最期を、秀吉は「見事なり」と賞賛してみせたというが、その口元には、獲物を追い詰めた捕食者の冷笑が浮かんでいたに違いない。

播磨の民は忘れない

秀吉は、三木城を落としたことで播磨平定を成し遂げたと誇っている。しかし、この干殺しによって失われた数千の命、そして生き残った者たちの心に刻まれた深い傷は、決して消えることはない。

「猿」は今、信長公にその功績を認められ、さらに大きな力を得ようとしている。しかし、我々は忘れてはならない。この男の出世街道は、数え切れないほどの餓死者の屍の上に築かれているのだ。

次なる標的は鳥取か

噂によれば、秀吉は次なる標的として因幡の鳥取城を見据えているという。そこでもまた、この干殺しが繰り返されるのか。戦国の世に現れた、笑顔で人をなぶり殺す怪物・羽柴秀吉。この男が権力を握ったとき、日ノ本はどのような闇に包まれるのか。

「猿の笑いは、死神の誘いか」。播磨に響く別所一族の慟哭を、本紙は決して聞き流さない。秀吉という男の真の恐ろしさを、我々はこれからも伝え続ける。