【薩摩・鹿児島】長きにわたる一族内紛の嵐が吹き荒れた薩摩の地に、ついに一点の光が差し込んだ! 島津家十五代当主・島津貴久公(38)が、分家や国人衆による執拗な抵抗をことごとく退け、薩摩一国の再統一を成し遂げた。さらに、室町幕府より薩摩守護としての正式な承認を得たことで、名実ともに薩摩の正統なる支配者としての地位を盤石なものとしたのである。かつて内乱の代名詞とまで揶揄された島津家が、貴久公という強力な指導者を得て、再び九州を揺るがす巨大勢力として蘇った!
伊作流の意地、守護職を奪還
貴久公の歩みは、まさに荊の道であった。父・忠良公(日新斎)と共に、守護職を巡る一族内の骨肉の争いに身を投じ、一時は鹿児島を追われるという屈辱も味わった。しかし、貴久公は不屈の闘志で軍備を整え、最新兵器である鉄砲をいち早く戦術に取り入れるなど、旧態依然とした国人衆を圧倒。反対勢力の拠点を次々と陥落させ、ついに薩摩全土をその支配下に置いたのである。
今回の幕府による守護職の再任は、貴久公の実力が天下に認められた証であり、周辺の諸将に対し「薩摩に逆らう者は幕府を敵に回す」という強烈な警告となった。
日新斎の教えと四人の息子という最強の布陣
貴久公の勝利の陰には、父・忠良公によるいろは歌に代表される精神教育と、それを体現する四人の息子たちの存在がある。長男・義久、次男・義弘、三男・歳久、四男・家久。この四兄弟は、すでに戦場において並外れた武勇と知略を見せており、貴久公が築いた統一薩摩の屋台骨を支える最強の柱となることは間違いない。
「島津に暗君なし」……鹿児島城下では、貴久公の威徳を称える声が響き渡り、長年の戦乱に疲弊した民衆は、この新時代の到来を心から歓迎している。
次なる狙いは大隅・日向、そして九州全土か
薩摩を掌握した貴久公の視線は、すでに隣国の大隅、そして日向へと向けられている。島津家がかつて誇った「三州(薩摩・大隅・日向)守護」の栄光を取り戻す戦いは、今、まさに始まったばかりだ。
