【安芸・厳島】西国を震撼させる衝撃の戦果が、安芸の宮島から舞い込んだ! 安芸の国人領主から急速に勢力を拡大する毛利元就公(58)が、本日未明、大内家の実権を握る陶晴賢(34)率いる二万余の大軍を、安芸・厳島において完膚なきまでに打ち破ったのである。数倍の兵力差を跳ね返したこの厳島の戦いにより、陶晴賢は敗走の末に自害。西国の軍事バランスは一気に崩れ、毛利家が覇権を握る歴史的な転換点となった!
暴風雨を味方につけた謀神の博打
元就公の策は、まさに神懸かり的であった。元就公は、陶軍を狭い厳島へと誘い出すため、偽の情報を流し、自ら築いた宮尾城を囮にするという緻密な罠を仕掛けた。陶軍が二万の兵を島に上陸させ、身動きが取れなくなったところを、元就公はわずか四千の精鋭で急襲。折しも昨夜から吹き荒れた暴風雨を突き、村上水軍の協力を得て秘密裏に島へ渡った毛利軍は、夜明けと共に陶軍の本陣へ突撃した。
不意を突かれた陶軍は、狭い島内で大混乱に陥った。背後は海、前方からは毛利の精鋭。逃げ場を失った将兵たちは、波打ち際で次々と討ち取られ、厳島の美しい浜辺は朱に染まったという。
陶晴賢、無念の最期
反乱によって主君・大内義隆公を自害に追い込み、西国の実力者として君臨した陶晴賢。しかし、その栄華も長くは続かなかった。毛利軍の猛追を前に、晴賢は島からの脱出を断念。厳島神社近くの大聖院付近にて、自ら腹を切り、その野望に終止符を打った。
大寧寺の変から四年。主君を裏切った男の最期は、あまりにも無惨な敗北であった。晴賢の死により、大内家を支えてきた重臣たちの多くも討死、あるいは自害しており、大内家の崩壊はもはや決定定的だ。
村上水軍の加担が勝敗を分かつ
今回の勝利の影の立役者は、瀬戸内海の覇者・村上水軍(因島・能島・来島)である。元就公は、水軍の将たちに対し、粘り強い交渉と破格の条件を提示し、味方に引き入れることに成功した。彼らの操船技術がなければ、暴風雨の中での上陸作戦は不可能であり、毛利軍の勝利もなかったであろう。
謀神元就、天下に名を轟かす
この一戦により、毛利元就公の名は西国随一の知将として天下に知れ渡ることになるだろう。安芸の一国人領主からスタートした毛利家が、今や中国地方を飲み込もうとする巨大な勢力へと変貌を遂げたのである。
「厳島の波は、新時代の幕開けか」。宮島に響く勝鬨の声は、西国の歴史が塗り替えられたことを告げている。本紙は、この謀神が描く次なる天下の設計図を、引き続き追い続ける。
