【美濃・長良川】美濃の国を乗っ取り、「美濃の蝮(まむし)」と天下に恐れられた一代の梟雄・斎藤道三公(62)が、本日、長良川の河原において、実子である斎藤義龍公(29)の手によって討ち取られた! 父子による骨肉の争いは、圧倒的な兵力差を背景とした義龍軍の猛攻により、道三公の最期という最悪の結末を迎えた。油売りから一国の主までのぼり詰めた希代の風雲児の生涯は、自ら育てた「龍」によって幕を閉じられたのである。
父子から不倶戴天の敵へ。骨肉の争いの果て
事の発端は、道三公が義龍公を廃し、次男や三男に家督を譲ろうとしたことにあった。義龍公は先手を打って弟たちを殺害し、稲葉山城を占拠。これに対し、道三公はわずかな手勢を率いて鷺山城へ逃れ、両軍は長良川を挟んで対峙した。 道三公の軍勢は約二千、対する義龍公は美濃の国人衆の支持を背景に一万七千を超える大軍。戦いは開始直後から義龍軍が圧倒し、道三公の陣は瞬く間に飲み込まれた。
蝮の首を獲ったのは、義龍の執念か
乱戦の中、道三公は義龍軍の小牧源太殿らによって組み伏せられ、その首を落とされたという。かつて「下剋上」の代名詞として恐れられた道三公も、実の息子によるさらなる下剋上には抗えなかった。 義龍公は、討ち取った父の首を前にして、何を思ったのか。一説には、自らの出自を疑い、道三公を「真の父ではない」と信じ込んでいたとの噂もあり、その恨みはあまりにも深かったと言えるだろう。
婿殿織田信長公、間に合わず!
道三公の窮地を聞き、尾張から婿殿である織田信長公(23)が救援に駆けつけたが、時すでに遅し。信長公が木曽川を越えた頃には、すでに道三公討死の悲報が届いた。信長公は「父上の仇、必ずや討つ」と激怒し、義龍軍と一戦を交えた後に尾張へと撤退。これにより、織田家と斎藤家の同盟は完全に崩壊し、美濃と尾張は再び激しい敵対関係へと突入した。
美濃の蝮が残した遺言
道三公は死の間際、信長公に対し「美濃の国を譲る」という遺言状を認めていたとの驚くべき情報も入っている。自らの息子に殺されることを悟り、その野望を婿に託したのか。
「蝮の野望、川面に散る」。長良川のせせらぎは、一代の英雄の最期を悼む声か、それとも新たな戦乱の序曲か。本紙は、この衝撃的な父殺しが天下の情勢をどう変えるのか、引き続き最前線から追い続ける。これにて、美濃の蝮最期の報を締めくくろう。
