戦国新聞

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細川忠興殿の異常な愛か?ガラシャ夫人を幽閉……戦慄の束縛実態に迫る!

1582年12月6日 #丹後

【丹後・宮津】今、細川家中を震撼させているのは、当代随一の教養人として知られる細川忠興殿(二十歳)の、あまりにも激しすぎる「妻への執着」だ。その標的となっているのは、明智光秀公の娘であり、類まれなる美貌と知性で知られる正室・玉子(ガラシャ)夫人。二人の睦まじい仲は「戦国のおしどり夫婦」と羨望の的であったはずだが、その裏側では、常軌を逸した「束縛」の闇が広がっているという。

本能寺の変という未曾有の事態を受け、忠興殿が下した決断は、玉子夫人を丹後国の峻険な山奥・味土野(みどの)へ幽閉することであった。表向きは謀反人の娘となった妻を世間の目や信長公旧臣の怒りから守るための保護とされている。しかし、家中からは「これは保護ではなく、誰の目にも触れさせたくないという忠興殿の独占欲の現れではないか」との疑念が噴出している。

実際、味土野での生活は、外部との接触を一切絶たれた極めて過酷なものだという。忠興殿は自らも剃髪して信長公への忠誠を示す一方で、最愛の妻を人里離れた地に封じ込めた。この隔離という手法に、彼の歪んだ愛の形を見て取るのは我々だけだろうか。

忠興殿の束縛を象徴する、背筋も凍るようなエピソードが伝わっている。ある時、細川邸の庭を手入れしていた庭師が、偶然にも玉子夫人の姿を垣間見てしまった。その瞬間、忠興殿は激昂。あろうことか、その場で庭師の首を撥ねたというのだ。さらに戦慄すべきは、その返り血を浴びた刀の血を、玉子夫人の衣で拭ったという噂まである。

「私の妻を見る者は、誰であろうと許さぬ」――。この狂気じみた嫉妬心こそが、忠興殿の本性なのか。彼は茶道や歌道に通じた風流人としての顔を持つ一方で、一度火がつくと手がつけられない激情家としての側面を併せ持っている。その激情の矛先が、常に最愛の妻に向けられているという悲劇。これはもはや愛ではなく、暴力的な支配ではないのか。

こうした夫の異常な行動に対し、玉子夫人は沈黙を貫いている。しかし、最近では南蛮の教え(キリスト教)に深い関心を示しているとの情報もあり、彼女がその過酷な束縛から逃れるために、心の救いを神に求めていることは想像に難くない。

忠興殿は「玉子の美しさは私だけのものだ」と豪語しているというが、心を縛り付けることは誰にもできない。この歪んだ愛憎劇の果てに、二人はどこへ向かうのか。本紙は、城下や京の街で囁かれるこの戦慄の夫婦仲について、引き続き徹底的な調査を進めていく。