戦国新聞

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【号外】京、炎上!織田信長公、本能寺で散る。明智光秀の電撃謀反

1582年6月2日 #山城

【京都】本日未明、京の街を揺るがす未曾有の事態が発生した。天下統一を目前にした織田信長公(49)が、滞在先の本能寺において、あろうことか重臣・明智光秀公(55)の襲撃を受け、炎の中に消えた。信長公は自害したと見られているが、燃え盛る寺の跡地からその遺体、そして首は未だ発見されておらず、現場には不気味な静寂と混乱が広がっている。

午前4時、静寂を破る水色軍旗

事件が起きたのは、まだ夜も明けきらぬ午前4時頃。中国地方の毛利攻めへ向かうはずだった明智光秀公率いる1万3000の軍勢が、突如として進路を京へ変更。「敵は本能寺にあり!」の号令と共に、わずか百人足らずの供回りしか連れていなかった信長公を急襲した。

寺を取り囲んだ明智軍は、一斉に鉄砲を撃ち込み、四方から火を放った。信長公は当初、下女たちの騒ぎを喧嘩かと思ったが、それが謀反であることを悟ると、「是非に及ばず」と一言。自ら槍を手に取って応戦したが、肘に傷を負うと奥へ退き、森蘭丸ら小姓たちに火を放たせ、静かに自害の道を選んだという。

消えた遺体、首なき戦場

明智軍は落城後、血眼になって信長公の遺体、とりわけその首を捜索している。しかし、激しく燃え上がった本能寺の焼け跡からは、信長公の痕跡は一切見つかっていない。

「信長公は天へ昇られたのではないか」「いや、密かに脱出したという噂もある」――。現場周辺では、あまりにも鮮やかな消え方に、非現実的な憶測まで飛び交っている。首が見つからないという事実は、明智軍にとっても大きな不安要素だ。信長公が生きている可能性が万が一にもあれば、光秀公の謀反は大義を失い、一気に窮地に立たされることになるからだ。

天下、再び暗雲の中へ

信長公の嫡男・信忠公も、宿泊先の妙覚寺から二条御新造へ移って抗戦したが、衆寡敵せず自害。織田政権の屋台骨が一夜にして崩壊したことで、日本全土は再び先の見えない大混乱へと突き落とされた。

明智光秀公は現在、京の治安維持に乗り出しているが、各地に展開している羽柴秀吉公や柴田勝家公ら織田家の宿老たちがこの報にどう反応するのか。そして、消えた信長公の首はどこへ行ったのか。歴史の歯車が狂い始めた今日という日。我々は、この国の未来が炎に包まれていくのを、ただ呆然と見守るしかない。