【尾張・野間】天下人・織田信長公が本能寺で倒れてから一年。織田家の重臣であったはずの羽柴秀吉(46)が、ついにその牙を主家に剥いた。秀吉は、信長公の三男である神戸(織田)信孝公(26)を岐阜城から追い詰め、本日、知多半島の野間大坊において自害させたのである。かつて信長公の草履取りから出世した男が、今や主君の血を引く若君を死に追いやる。この下剋上の極致とも言える暴挙に、織田家旧臣や天下の諸将の間には、激しい衝撃と憤りが広がっている。
賤ヶ岳の勢いそのままに、主家を蹂躙
事の発端は、先月の賤ヶ岳の戦いであった。秀吉は織田家筆頭家老・柴田勝家公を破り、北ノ庄城で自害に追い込んだ。その勢いのまま、秀吉は勝家公と結んでいた信孝公を標的に定めた。秀吉は、信長公の嫡孫・三法師様を擁立するという大義名分を盾に、信孝公を逆賊として仕立て上げ、実兄である織田信雄公をけしかけて岐阜城を包囲。信孝公を降伏させた後、さらに非情な追い打ちをかけ、この野間の地で自害を強要したのである。
末代まで祟る信孝公、血染めの辞世
信孝公の最期は、凄惨を極めたという。自らの腹を切り、内臓を掴み出して天井に投げつけたとの噂も流れている。その際、信孝公が遺した辞世の句は、秀吉への激しい呪詛に満ちていた。
「昔より 主を討つ身の 野間なれば 報いを待てや 羽柴筑前」
(かつて源義朝公が家臣に殺されたこの野間の地で、主君を殺す貴様も、必ずやその報いを受けるであろう、羽柴秀吉よ)
この血を吐くような叫びは、秀吉がこれまで築き上げてきた人たらしの仮面を粉々に打ち砕くものである。
織田家家臣から天下の簒奪者へ
秀吉は、自らを織田家の忠臣と称し、信長公の仇を討つために戦ってきたと主張している。しかし、その実態はどうだ。清洲会議で主導権を握り、柴田勝家を滅ぼし、今や信長公の息子までもがその犠牲となった。これはもはや家督争いの調停などではなく、織田家を根底から乗っ取ろうとする簒奪(さんだつ)に他ならない。
信長公が目をかけて引き立てた猿が、今やその主家の血筋を根絶やしにしようとしている。この非情なまでの権力欲に、多くの武将たちは戦慄している。
織田家の未来に暗雲
信孝公の死により、織田家の正統な血筋は事実上、秀吉の傀儡となった信雄公や、幼い三法師様のみとなった。秀吉はこのまま羽柴の天下を築き上げるつもりなのか。それとも、信孝公の呪いが、この主殺しの男に降りかかるのか。
「猿、ついに主を喰らう」。野間に流れた貴い血は、織田家の終焉と、羽柴家による恐怖政治の始まりを告げている。本紙は、この歴史的裏切りの行方を、引き続き厳しく監視し続ける。
