戦国新聞

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羽柴の猛将まさかの失態!仙石秀久公、引田の地で長宗我部軍に完敗。四国統一を狙う元親公の牙城崩せず

1583年6月11日 #讃岐

【讃岐・引田】羽柴秀吉公の四国方面軍司令官として乗り込んだ「ゴンベエ」こと仙石秀久公(32)が、屈辱の敗北を喫した! 本日、讃岐国引田において、四国平定を推し進める土佐の覇者・長宗我部元親公の軍勢と激突。緒戦こそ優勢に進めた仙石軍だったが、元親公の緻密な伏兵戦術と、土佐兵の捨て身の猛攻の前に戦列が崩壊。仙石公は命からがら淡路へと敗走した。秀吉公の威光を背負った精鋭軍の敗北に、四国の諸勢力は大きな衝撃を受けている!

猛将・仙石、長宗我部の罠に嵌る!

淡路から鳴門海峡を越え、讃岐に上陸した仙石秀久公は、当初、引田城を占拠して気勢を上げた。しかし、これを迎え撃つ長宗我部元親公は、弟の香宗我部親泰殿を先鋒に立て、大軍を密かに引田周辺の山林に配置。 仙石公は、寡兵と見せかけた長宗我部軍を追って城外へ出撃したが、これこそが元親公の狙いだった。深い霧と複雑な地形を利用した長宗我部軍の包囲網が完成すると、羽柴軍は前後を遮断され、大混乱に陥ったのである。

一領具足の意地! 土佐兵の突撃に羽柴軍、総崩れ

戦場に響き渡ったのは、土佐兵たちの凄まじい咆哮だった。死を恐れぬ一領具足の面々は、数に勝る羽柴軍の隙を突き、次々と本陣へと肉薄。仙石公の旗本たちも必死の防戦を試みたが、元親公自らが率いる本隊が姿を現すと、ついに均衡が破れた。 仙石公は、愛槍を振るって奮戦したものの、味方の壊滅を悟ると、わずかな供回りを連れて海岸へと撤退。追撃を振り切り、這々の体で淡路島へ逃げ帰るという、猛将の名に似合わぬ無様な結末となった。

元親公、四国全土に長宗我部ありを誇示

この勝利により、長宗我部元親公の讃岐支配は決定的なものとなった。秀吉公が送り込んだ刺客を返り討ちにしたことで、四国における元親公の影響力は最高潮に達している。 一方、敗れた仙石公は、秀吉公からの厳しい叱責を免れない情勢だ。噂では、秀吉公はこの敗北を重く受け止め、自ら大軍を率いての四国征伐を本格的に検討し始めたという。

戦国のパワーバランスが激変か

「羽柴の軍勢も、四国の山を越えることはできぬのか」。今回の引田の戦いは、中央の権力者である秀吉公に対し、地方の雄・長宗我部が真っ向からNOを突きつけた形となった。しかし、この勝利が逆に「巨虎」秀吉の逆鱗に触れ、四国全土を焼き尽くす大軍を呼び寄せる引き金になるのではないかとの懸念も広がっている。

「讃岐の風、土佐へ吹く」。引田の浜辺に転がる羽柴軍の旗印は、これからの四国が歩む、血塗られた歴史を予感させている。本紙は、秀吉公の次なる一手と、元親公の野望の行方を、引き続き最前線で追い続ける。