戦国新聞

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狂気か忠義か!?佐々成政公、厳冬の北アルプスを強行突破!前代未聞のさらさら越えで家康公に打倒・秀吉を直訴!

1583年12月23日 #越中

【富山】正気の沙汰ではない! 越中・富山城主の佐々成政公(48)が、誰もが不可能と断言した厳冬の北アルプス・立山連峰を越え、浜松の徳川家康公(41)のもとへ突如姿を現した! 積雪数メートル、零下数十度の地獄と化した立山、ザラ峠を越えるこの決死の行軍は、さらさら越えとして語り継がれるであろう伝説の幕開けだ。羽柴秀吉公の勢力拡大に抗う成政公が、自らの命を賭して家康公に求めた再起の密約とは!?

雪山の鬼と化した成政軍・決死のザラ峠突破

小牧・長久手の戦いで家康公が秀吉公と和睦したという知らせを受け、成政公は激しく動揺した。秀吉に包囲され、孤立無援となった越中で、彼が選んだのは、山を越えて直接家康を説得するという、あまりにも無謀な道だった。 案内人も尻込みする中、成政公はわずかな供回りを連れ、腰まで埋まる雪を掻き分け、崖を這い、吹雪の中を進んだ。同行した家臣の数名は凍死し、成政公自身も髭や眉毛が凍りつき、まるで雪の精霊のような姿で浜松に辿り着いたという。

家康公、驚愕の対面! 成政殿、貴殿は幽霊か?

浜松城で成政公を迎えた徳川家康公は、目の前に現れたボロボロの武将が、かつて織田家で名を馳せた黒母衣衆の筆頭、佐々成政本人であると信じられなかったという。 成政公は凍えた手足の痛みを堪え、家康公の前に平伏。「秀吉に屈してはなりませぬ! 今一度、共に立ち上がり、亡き信長公の志を継ごうではありませぬか!」と、魂を削るような熱弁を振るった。その気迫には、百戦錬磨の家康公も言葉を失い、深く感じ入った様子であったと伝えられている。

虚しく響いた叫び・非情なる現実

しかし、現実は非情であった。家康公は成政公の超人的な努力と忠義を称賛しつつも、すでに成立した和睦を覆すことはせず、再挙兵の約束は得られなかった。成政公が命懸けで持ち帰ったのは、家康公からの丁重なもてなしと慰めの言葉だけであったという。さらさら越えという人知を超えた苦行を成し遂げながら、政治の壁に阻まれた成政公。浜松を去る彼の背中には、孤独な敗者の哀愁が漂っていた。

秀吉包囲網、完全崩壊へ

この成政公の必死の行動は、逆に秀吉公を刺激することとなった。成政公が富山へ戻った後、秀吉公による大規模な越中征伐が開始されるのは時間の問題との見方が強い。北陸の猛将、佐々成政の命運は、今や風前の灯火か。

「雪を噛み、空を仰ぐ」。成政公が越えたのは山だけではない。それは、滅びゆく織田旧臣としての意地そのものであった。本紙は、雪山を越えたこの執念の男が、次にどのような最期を選ぶのか、引き続きその動向を追い続ける。これにて、佐々成政さらさら越えの報を締めくくろう。