戦国新聞

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徳川軍、三方ヶ原で壊滅!家康公、命からがら浜松城へ敗走。忠臣・夏目吉信、身代わりとなり壮絶な討死か!

1572年12月22日 #遠江

【遠江・浜松】「戦国最強」と謳われる武田信玄公(52)の軍勢が、ついに徳川家康公(31)を完膚なきまでに打ち破った! 本日夕刻、三方ヶ原の台地で激突した両軍だったが、武田軍の圧倒的な戦術と武力の前に、徳川軍はわずか二時間足らずで崩壊。家康公は多くの重臣を失い、自身も絶体絶命の危機に陥りながら、闇夜に紛れて浜松城へと逃げ帰った。この絶望的な敗走劇の裏で、家康公を救うために身代わりとなって戦場に消えた一人の老臣の姿があった。その名は、夏目吉信(55)。三河武士の意地と悲哀が、雪混じりの戦場に刻まれた。

魚鱗の陣に飲み込まれた徳川の誇り

戦いは、あまりにも一方的であった。籠城を決め込むと思われた家康公が、信玄公の挑発に乗って城を出たのが運命の分かれ道となった。武田軍は魚鱗の陣を敷いて待ち構え、突撃してくる徳川軍を包囲・殲滅。家康公の周囲を固める旗本衆も次々と討ち取られ、戦場は徳川方の血で赤く染まった。

家康公はあまりの恐怖に、馬上で失禁したとの噂も流れるほどの狼狽ぶりであったという。背後には武田の精鋭赤備えが迫り、もはやこれまでかと思われたその時、一人の武将が家康公の前に立ちはだかった。

「我こそは徳川家康なり!」夏目吉信、執念の身代わり

夏目吉信殿は、かつて三河一向一揆で家康公に背いた過去を持つ。その恩讐を越え、最期の瞬間に彼は主君を救う道を選んだ。吉信殿は家康公の兜を譲り受け、自ら「我こそが徳川家康である!」と大喝して敵陣へと突っ込んだ。

武田の兵たちが吉信殿を家康公と誤認して群がる隙に、本物の家康公はわずかな手勢と共に戦場を脱出。吉信殿は無数の槍を浴びながらも、主君が遠ざかるまでその場を動かず、壮絶な最期を遂げたという。浜松城に逃げ帰った家康公は、吉信殿の死を知り、城門を閉じることなく空城計を敷きながら、ただ声を上げて泣き続けたと伝えられている。

武田の脅威、三河・遠江を飲み込むか

この大敗により、徳川家の支配力は根底から揺らいでいる。信玄公は明日にも浜松城を包囲する構えを見せており、織田信長公からの援軍も期待薄な今、家康公に残された道は極めて狭い。

「信玄、恐るべし」。三方ヶ原の寒風に響く武田の勝鬨は、徳川家の終焉を告げる予奏曲なのか。