戦国新聞

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羽柴秀吉、浅井の重鎮・宮部継潤を鮮やかに寝返らせる。小谷城攻略に王手、信長公も驚嘆の無血開城工作!

1572年10月6日 #近江

【近江・小谷】織田信長公の北近江攻略に、これ以上ない劇的な追い風が吹いた! 羽柴秀吉公(36)が、浅井長政軍の要衝・宮部城を守る猛将、宮部継潤(みやべ・けいじゅん)殿(44)を、鮮やかな調略によって織田方へと寝返らせることに成功したのである。鉄壁を誇る小谷城の喉元に位置する宮部城が、一滴の血も流さずに織田の手中に落ちたこの衝撃。浅井軍の動揺は計り知れず、信長公も「猿、まことに天晴れなり!」と手放しで秀吉公の功績を称えているという。

刀を抜かずに城を獲る! 秀吉流懐柔術の極意

宮部継潤殿といえば、比叡山で修行を積んだ僧侶出身の武将であり、その知略と武勇は浅井家の中でも一目置かれる存在だった。そんな難攻不落の男を、秀吉公はどうやって口説き落としたのか。 取材によれば、秀吉公は自ら危険を顧みず、何度も密かに宮部城へ足を運んだという。「今の浅井に未来はない。信長公こそが天下を平らげるお方だ」と説き、さらには継潤殿の将来の地位を保証。極めつけは、秀吉公の甥である治兵衛を継潤殿の養子として差し出すという、破格の誠意を見せたことだ。この身内を差し出すという捨て身の覚悟に、継潤殿の頑なな心もついに溶けたという。

小谷城の目と鼻の先が敵地に! 浅井長政、絶体絶命

宮部城が織田方に転じたことは、浅井長政公にとって死刑宣告にも等しい。宮部城は小谷城からわずか一里の距離にあり、ここを拠点にされることで、小谷城への補給路は完全に断たれ、織田軍の動きが丸見えとなってしまったのだ。 浅井軍の兵士たちの間では「あの継潤殿までが裏切るとは……」と絶望感が広がっており、脱走兵が相次いでいるとの情報も入っている。長政公は義兄・信長公との決別以来、最大の窮地に立たされたと言える。

出世頭秀吉、軍団内での地位を不動のものに

今回の手柄により、織田軍団内における秀吉公の評価は爆発的に高まった。柴田勝家公や丹羽長秀公といった宿老たちも、この猿の鮮やかな手際に舌を巻いているという。「戦わずして勝つ」。孫子の兵法を地で行く秀吉公の調略は、これからの戦国時代の戦い方を根本から変えてしまうかもしれない。

次なるターゲットは阿閉か赤尾か

秀吉公の鼻息は荒い。「宮部は序の口。小谷の門を内側から開けてみせる」と豪語しているという。すでに他の浅井家臣たちにも、秀吉公の甘い誘いの手が伸びているとの噂もあり、浅井家の崩壊はもはや時間の問題か。

「言葉は槍よりも強し」。羽柴秀吉公が放った一筋の誠意という矢は、難攻不落の城壁をいとも簡単に貫いてみせた。本紙は、この人たらしの天才が、次にどの城を言葉で落とすのか、引き続きその動向を注視する。これにて、宮部継潤寝返りの快報を締めくくろう。