戦国新聞

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マムシの孫、ついに散る!斎藤龍興公、刀根坂の激闘で討死。織田信長公への執念の十年に終止符

1573年8月13日 #越前

【越前・刀根坂】美濃の「マムシ」こと斎藤道三公の孫であり、織田信長公にとって最大の宿敵の一人であった斎藤龍興公(25)が、越前国刀根坂(現在の福井県敦賀市)において壮絶な討死を遂げた! 織田軍による朝倉義景軍への猛追撃戦の中、朝倉軍の客将として参戦していた龍興公は、押し寄せる織田の精鋭を相手に最後まで抗戦したが、衆寡敵せず力尽きた。美濃を追われて以来、信長打倒に人生のすべてを賭けてきた執念の男の最期に、戦国乱世の非情さが漂っている。

信長を最も苦しめた不屈の亡命者

龍興公と信長公の因縁は、遡ること十数年前、龍興公が美濃の主であった時代に始まる。永禄十年(1567年)、稲葉山城を信長公に奪われ、国を追われた龍興公だったが、彼の戦いはそこからが本番だった。 伊勢長島での一向一揆に身を投じ、さらには摂津の三好三人衆と結託して信長包囲網の一翼を担うなど、龍興公は常に信長の喉元を狙い続けてきた。信長公にとって、龍興公は単なる敗軍の将ではなく、どこまで追い詰めても再び目の前に立ちはだかる、忌々しくも侮れぬ亡命の虎だったのである。

刀根坂の地獄

今回の戦いは、信長公が越前の朝倉義景公を討つべく敢行した電撃戦であった。朝倉軍が本拠・一乗谷へ撤退する際、殿(しんがり)を務める形となった龍興公ら一行は、刀根坂の険しい峠道で織田軍の猛追に捕まった。 「信長の首を獲るまでは死ねぬ!」――目撃者の証言によれば、龍興公は返り血を浴びながらも凄まじい気迫で指揮を執り、自らも太刀を振るって織田兵をなぎ倒したという。しかし、朝倉軍本体が壊滅し、周囲が敵一色に染まる中、ついに織田方の武者によってその首を上げられた。

マムシの血筋、ここに途絶える

龍興公の死により、美濃を震撼させた斎藤道三、義龍と続いた名門・斎藤家の正統は事実上滅亡した。かつて信長公が「美濃を制する者は天下を制する」と語ったその美濃の旧主が、異郷の地でひっそりと、しかし激しく散ったことは、時代の大きな転換点を象徴している。

信長公、宿敵の死に何を思う

龍興公の討死を聞いた信長公は、一瞬の沈黙の後、淡々と次の進軍を命じたという。しかし、十年にわたり自らの覇道を阻み続けた若き執念の持ち主に対し、内心ではその粘り強さを認めていたのではないかとの推測もある。

執念の火、刀根坂に消ゆ。龍興公が夢見た美濃奪還の悲願は、冷たい雨の降る越前の峠道で永遠に失われた。本紙は、この一人の武将の死が、信長公の天下布武をどれほど加速させるのか、引き続きその動向を注視する。これにて、斎藤龍興公討死の報を締めくくろう。